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選んだこと
☆「きっと、同じ春が、すべての者に同じよろこびを与えることはないのだろう。
なぜなら、よろこびの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっているからだ。
冬をしっかり越さないかぎり、春をしっかり感じることはできないからだ。
それは、幸福と不幸のあり方にどこか似ている。」
(星野道夫『長い旅の途上』文藝春秋、1999)
・ちょっと前のことですが、8月31日の朝日新聞に、
第25回全国高校性の手話によるスピーチコンテストに関する記事が出ていました。
「自分なりの幸せとは何ですか」というテーマで、15歳の皆川愛さんが1位になりました。
彼女のスピーチの一部を抜粋させてください。
☆「私は生まれつき耳が聞こえません」
(※彼女は、バイオテクノロジーにより、聴覚再生の研究が進んでいることを知り)
「聴覚の再生が可能になったとして、自分はどうするか考えてみました。
答えは―――利用しない」
☆(※健聴者と聴覚障害者はコミュニケーション手段が違うからこそ)
「お互いが伝えよう、分かろうという気持ちが一段と強くなる。
通じたときの喜びは大きなものとなります」
「何より聴覚障害者としての私の気持ちを理解してもらえた時の喜びは最高です」
「今の自分であることが、私なりの幸せだと思っています」
・ところで、私は先月、セロクエルという薬を処方されました。これは、効きました。
この薬が効いている間は、
極度に落ち込んだり、不安になったり、逆に舞い上がったりするような気持ちのぶれがなくなり、
落ち着いた、平穏な心持ちになりました。
マイナス思考もなくなり、安定してちょっと平和で穏やかな気持ちを持続することができました。
今までの私には、味わったことがなかった感覚です。
普通の人って、こんな感じだったんだぁ、って思いました。
この薬があれば、私は、普通に暮らしていけるんじゃないかなって思いました。
私は確か、それを求めていたはずでした。
・でも、なんていうのか、気持ちのぶれがなくなり、
不謹慎な表現かもしれませんが、なんかつまんないの、って思ってしまいました。
さらに、自分のエネルギー、活力、意欲がガクッとが減少してしまいました。
何より、自分が自分でなくなったように感じられました。これは、私じゃない。
・考えた末、薬は飲まないことにしました。
よって、現在の私は、境界性人格障害になってしまったのではありません。
自ら、境界性人格障害として生きていくことを選んだのです。
だから、文句も愚痴も言ってはいけない。悪い点は自らコントロールしなければならない。
・果たして今の私は幸せなのか。薬を飲んだ方が幸せなのか。
今の私には、わからない、全く、わからない。
・ところで、先の新聞には皆川愛さんが笑顔で話している写真が載っていました。
とってもかわいらしくて、とっても素敵な笑顔です。本当に素敵な笑顔です。