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☆私は境界性人格障害です。医学的な知識に関しては、素人です。
ここでは、私なりに感じたことを、書いていきたいと思ってます。
@悲しみの種
☆“What does seem important ? Bargaining in good faith with destiny.”
(Vonnegut、Kurt, Slapstick, New York: Delacorte Press, 1976 )
「じゃあ、何が大切なの? ―― 馬鹿正直に、真っ向から、運命に向かい合っていくことだよ」
(カート・ヴォネガット著『スラップスティック』)
・私は以前、予備校で講師をしていました。
ある日、授業でウイルスの話をした後に、一人の生徒がやってきました。
彼女はふわふわっとした優しい感じの女の子で、いつも穏やかな微笑みを浮かべていました。
彼女は私に、こう言いました。
「先生、あのね、わたしの脊髄には、はしかの種があるの。
(※恐らく、脊髄にはしかのウイルスが居着いてしまったということではないかと思います。)
普通の人って、1回はしかにかかったら、もうかからないでしょ。
でもね、わたしはストレスと感じると、すぐに何回でもはしかになっちゃって、
学校に行けなくなってしまうの。
だから、わたしはストレスを感じちゃいけないんです。
先生、わたしは気楽そうに見えるかもしれないけれど、これでも結構大変なんですよ」
・話は変わりますが、
私は、境界性人格障害とは、幼少期における様々な環境要因によって、
心の奥の方に、悲しみの種が居着いてしまった病気だと考えています。
・専門書には、30代、40代を過ぎると、だいたい治まってくる場合が多いと書かれています。
確かに、年をとると人間的に角がとれてきて、治まってくるように見えることが多いのかもしれません。
しかし、悲しみの種は一生住み着いたままだと思います。
一生、この種を取り除くことはできないと、私は考えています。
・私も、同じく境界性人格障害を抱えた私の友人たちも、
そして70歳を過ぎた私の母親も、悲しみの種を抱えたままです。
・でも、心の中に悲しみの種を抱えていても、楽しさや嬉しさを感じることはできます。
心の中に悲しみの種を抱えているからこそ、楽しい瞬間、嬉しい瞬間、愛情に満ちた瞬間に、
その瞬間の中に、永遠性を感じるのです。
・私は、生きづらさを感じた時には、あの生徒のことを思い浮かべます。
ストレスを感じずに生きなければならない辛さは、私には想像もできません。
でも彼女は、一生懸命ほがらかに、一生懸命勉強していました。
私は自分を恥じ、彼女を見習って、しっかりと生きていかなければ、と思います。